東日本大震災から1年、テレビではこの1年間の軌跡を特集する番組がたくさん(だったらしい、、ということを友達のFB書き込みなどで確認しました)。
同じ日本に住んでいながら、未だ壮絶な壊滅的な状況を身近なトピックとして認識する、自覚することは正直難しい。
毎日、電源を入れれば電気がつく、ガスが使える環境下で生活をしていて、毎日何かしら、やるべき仕事があり、毎日温かい布団で眠れる環境にいる私には、到底、その想いを共感する、という図々しい感情を持つことはできない。
けれど、少しでも、被災地の方々が笑顔で安心して生活できる状況に変化を遂げていけますように。その想いは、誰しも同じだろうと思う。
物理的、時間的、経済的全てが許されるのであれば、肉体を持ってその場所に足を踏み入れ、何かしら復興の一端を物理的に提供することもできるかもしれない。実際、私の知人たちの多くも、被災地に足を踏み入れ、ボランティア等で活動している人もたくさんいます。現地に物資提供をしている人もたくさんいます。
募金という形で支援をしている人も沢山。私もその一人。
震災直後は、生存者リストを入力する作業を自宅でできる限り手伝いました。
その場所に行けなくても、できることはたくさんあるし、できる範囲でできることをする、私もその一人。
想いはあれど、自らの生活、日々の営みの中、私は私なりに、別な形でこの出来事を忘れないように、そして、1日でも早く、東北が活性化され、復興を遂げられますように、祈っています。
祈り。
というのは、目に見えないので、
実際に、何らかの「力」になっているのかどうか、時として、もどかしく、理解を得られないことも多いかもしれない。
でも、私は、
シンプルに、祈りをささげる。
心の奥深いところから、全ての人が笑顔を取り戻せるように。
祈っています。Pray for Tohoku。東北のために。
そして、昨年の3.11をきっかけに、私は、もっと言うと、世界のために。
祈りたい。と思うようになりました。
東北だけではなく、世界にはまだまだ飢餓、ウィルス、暴動、内戦、自然破壊、生態系の破壊、野生動物の乱獲、エネルギー問題、原発、、、、様々な問題が山積みで、そんな中、この世に生まれてきて、心の底から安心して暮らせる日々を送れていない人たちがたくさんいる。
よく、「生きている。それだけで感謝」と言うけれど、
苦悩の中で生きている人たちは、きっと、そんな余裕すらないはずで、
不自由なく暮らしているからこそ、その状況に感謝できるのだろうと思う。
もちろん、私自身、生かされていることに、感謝をしているし、この状況で自らをもっと成長させて進化させて生きていきたいとも思ってる。
その一方で、苦悩の中に生きている人たちのことを想い、そうした人たちが、安らかに生きていける社会、地球に進化していって欲しいと、本当に切実に願っています。
だから、その願いを、宇宙に届けるために、毎日30秒、1分といった短い時間、黙祷(瞑想)をして、祈りを捧げます。
この記事へのコメントはありません。