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通訳する、ということ

私は通訳、という技術を生業にしようとか思ったこともなく、

そのために沢山の資金を投じて学校に行ったことも当然なく、

今までも、そしてこれからも、

「通訳だけ」で生きていく、ということは人生プランの中には入っていませんが、

当然、

業務のひとつとしては存在していますし、

大きな位置を占めていることに変わりはありません。

これは本の翻訳についても同じスタンスです。

翻訳家、と、なんか見るだけで頭良さそうな(笑)オーラ(BY自己評価)肩書を胸を張って掲げるほどのものでもないし、

基本的には、「自分が訳す必要性があるだろうな」と直感したもの「だけ」に着手しているにすぎないので、

邪道、と言われればそれまでです。

結局じゃぁ何屋さんなの?となってしまうため、私は、バイリンガル・コミュニケーター、という怪しげな(大笑)ネーミングを思いついて使っているわけで、こういう肩書的なものは本当はあんまりつけたくないのが本心。

だけど、私たちは何らかの自分の特性を示すためのタイトルを持っていると分かりやすい社会に生きているので、

これを、一応、使っています~

私たちは良くも悪くも、「属性」の中で生きていて、

ビジネスカードを交換したときに、

「部長」とか、「係長」とか、マネージャー、とか、社長、とか、その人の属性を見て、

その人がどれだけ発言力や組織力を持っている人なのかを、その属性からまず判断する、という習性?も

身についてしまっています。

だけど、本当は、

属性に頼る以前に、

その人自身、

の魅力や人柄や持っている人脈がその後の関係性に大きく影響するし、

大切な部分だったりするので、

やっぱり、自分としてもそこを強調したいし、

肩書を全面に出して活動していく、ということは、

何となく自分の中ではフィットしません。

これはどちらが良い、良くないというものでもなく、

それぞれに良い面もそうでない面もあります。

専門職や専門技術を生業としている人であれば、建築士、会計士、看護師、などなど、、

一目瞭然な属性が分かっていれば話も早いから。

で、本題に戻りまして、

通訳する、ということ、

ですが、

そんなわけで、私は、通訳する、という業務をお金という対価にして、いわばお仕事として

請負うこともしているわけですが、

通訳業だけで毎月の生計をたてているわけではありません。

でも、通訳・翻訳業務は今となっては、全体的な業務の中で必須業務にもなっています。

私は、学問的な英語力?基本的な英語力も・・・・・汗・・・・

かなり低いです。TOEICは受験したことがありません。TOEICの点数が必要な世界に生きていないから、という

のが一番の理由ですが、日本にいると、必要不要に関わらず、ひとつの基準、目安としてTOEICスコアは存在している、というのも何となくは理解しています。でも、まぁ、もう、、、、いいか・・・・苦笑。と、受験することをスルーしたまま生きて行こうと思っています。今のところ・・・・ww

 

で、

兼ねてから、とある方から日本に来日した際の通訳は可能でしょうか、と問合せを受けていて、

とりあえず電話でインタビューさせてください、と言う流れになり、

柄にもなく(笑)、緊張しました~ww

その方が属する業界での通訳経験やら、その他どんな仕事をしているのだ、とか色々と聞かれて、

柄にもなく(笑)、さらに緊張しました~ww

翻訳や通訳って、私自身は、

ほとんどチャネリングだと思っていて、

表面的な「活字」「ことば」だけを捉えて言語変換をしようとすると、

聞き手の感情レベルが、スピーカーの感情レベルについて行かないときがあり、

それだとどうしても、スピーカーが伝えたいと意図していることの半分くらいしかオーディエンスに伝わらなかったりします。

それって、、、、どうなの?

と、ずっと自分自身は、自問自答してきました。

私情を投入することはよくないけれど、

スピーカーの感情レベルまで通訳者としてもその感情に移入しながら、的確な言語変換に感情表現をくわえることによって、オーディエンスへの伝わり方は変わってきます。

私情移入と感情移入の違いをきちんと認識することがとても大事だったりします。

 

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